【芸能ゴシップ】2000年くらいの頃、ネットが動かした有名人【今昔物語】

「文春砲」もそろそろ飽きてきた(個人の感想です)

 Am→F→G→C。あ、この言葉で「あー、あの芸能ゴシップの話ね」わかる人は作曲やったことある人です。あたしゃ、本人の弁は心に沁みてしまっただよ…愛する人の介護とは…まあまあ、オラの悲しい体験談なんかみんな聞きたくないズラ。だからマルはそういや黎明期のゴシップでネットに直接的になんか面白いのあったっけ…といくつか探すことにしたズラ。…マルって誰だ!!

劇中に「庵野、死ね!!」(1996年)

 目前に「エヴァンゲリオン劇場版」制作を控えた庵野秀明が目にしたのであろう、ラスト付近の怒涛の展開でファンの汚言を演出でパソコン通信のチャット画面をそのまま実写で投げこんでいた。
 「オタクよ現実に還れ」
 をおそらく一番言いたかった「旧劇」だがかえって内向的なオタクはあれで現実に打ちのめされてしまって…内にこもることが多くなったうちの嫁。またはオタク方向に解放されてしまった同世代のバンドマン。そんな人々の間であれを肯定的に評価する人は多い。
 あれの逆の「私はオタクでいたいの!」でのた打ち回る大演出があるアニメ大作映画が「まどか☆マギカ叛逆」だろう。どちらもディープなファンが日々論争をする熱いアニメだ。

 いまや「シン・ゴジラ」で国民的監督になってしまったなあ…。


 ネットではなく車で出かけようというコマーシャルに出る辺りが彼らしい。

ネットでファンと喧嘩してフロントマンがバンド脱退(1999年)

 筋肉少女帯・大槻ケンヂはバンド活動休止中、ネット慣れをしていない時期にネット上のやり取りで(おそらく当時のメンバーの掲示板かチャットか)ファンと大喧嘩をし、激高して脱退を宣言してしまった。「俺が脱退だぜ?」と音楽雑誌などでいきさつを語っていたのをよく覚えている。ただしそのころの活動は週刊文春「近田春夫の考えるヒット」で「ここのところ向かうところ客なしの勢い」とバッサリ切られてしまっていた。あ、文春砲だ…。かく言う自分もファンでいたのだが、この辺りの作品と言動はちょっと…。

 結局名義はベースの内田雄一郎が預かる形で存続し、一時は内田と大槻までもが訣別してしまいどうなる筋少、かと思われたがその後なんだかんだとあって再結成した。現在も活躍中である。なお未だにその件があってか大槻ケンヂはネットに非常に懐疑的らしく「Wikipediaの項目は鵜呑みにしないでほしい」とのこと。公式ブログは一応あるのだが、文体はどこかよそよそしさを感じる。


 
動画でコラボしている人間椅子の和嶋さんともども、twitterなぞ始めてホイホイ変な発言したりしない人である。和嶋さんなどとあるネットマガジンでしか日々の日記は拝めない(しかも長文で重い)。これからもそうあってほしい、とマルは思うズラ。再結成後は全く追わなくなった筋少。人間椅子は追ってたのね。この企画、マジ嬉しかったなあ…。

イチローが全盛期にメジャー移籍(2000年)

 この時期はそういえば名実ともに「全盛期のイチロー」が見られた時代だ。
 パワプロで使うとはっきり言ってチートキャラだった。メジャーに行って「活躍できんの?」という声をよそに恐ろしい成績を残してしまい(結果新人王獲得)、あの有名なコピペ定型文「全盛期のイチロー伝説」が生まれた。2chのガイドライン板が発祥のようだが、正直このコピペ文が広まったころが全盛期となった感が、今になって記録として残る。

 個人的には最初の4行

・3打数5安打は当たり前、3打数8安打も
・先頭打者満塁ホームランを頻発
・イチローにとってのホームランは内野安打の打ちそこない
・先頭打者サイクルヒットも日常茶飯

 これでもうおなか一杯なんだけど、

・あまりに打ちすぎるから牽制球でもストライク扱い
・その牽制球もヒット
・試合の無い移動日でも2安打
・グッとガッツポーズしただけで5点くらい入った

 辺りも好きだ。グッとガッツポーズしただけで5点くらい入りそうだったからである。マジで。
 本人もこれくらいの活躍をと奮起するところがあったのだろうか、メジャー年間最多安打記録を打ち立てた、おそらくキャリアハイはこのコピペの後だ
 またメジャーでは投手登板(マーリンズにて)も果たしているが、日本のオールスターゲームで同じことを行った際に「野手のくせに失礼な」と投手を代打に立てた野村監督、今になってみれば(これはおそらくノムさん本人も納得の上で)「実績の割に人間としての器が小さかったズラねえ…」とマルは思う。まあ、結果論でモノを言ってるだけだ。イチローが偉大過ぎただけでノムさんは悪くない。全盛期のノムさんがグッとガッツポーズしても2塁打が一本産まれる感じしかしない…まあ、それでもすごいズラ!!

逮捕後本人が2chに降臨した田代まさし(2000年)

 人気絶頂期に盗撮行為で逮捕された田代氏。その後の転落人生についてはもう「個人サイト全盛期」「2chが一番脂がのってた時期」でのやらかしの連続であったので、とくに2chではとにかく弄られた。
 2001年度、アメリカの「タイム」が1年おきに選ぶ「パーソン・オブ・ザ・イヤー」がネット受け付けを開始。2ch「ニュース速報板」の住人「ニュー速民」が目をつけてしまった。当時の投票システムの技術は「個人サイトのCGI」並ではなかっただろうか。逆に技術に長けた住民が大量投稿スクリプトを開発する始末…。結局ネット上では「Masashi Tashiro」が堂々の1位を獲得し続けてしまった。「6位くらいで推移すればまだ洒落で紹介したかもしれないのに」という筆者の読みは当たり、投票は中止。

 これらの祭りが終わった後、とにかくネット投票システムは悪乗りが続いた。また個人サイトの一般掲示板に大量のスパムが外国の業者からばらまかれる騒ぎがあったのだが、田代砲の開発はオープンソースで行われていたし、かなりその連中に技術的影響を与えたのでは?バカとはさみは使いよう、というやつだ。
 
 一度目の出所後、なんと2chに本人が降臨。6スレくらいまで伸びた。

 この1年後に「例の姿」で再逮捕される始末…。うっかり有名になると怖いズラ、とマルは思うズラよ。

スポンサーリンク
レクタングル大広告

シェアする

フォローする

facebookページにも「いいね!」をお願いします
この記事をお届けした
インターネット老人会の最新ニュース情報を、
いいねしてチェックしよう!
スポンサーリンク
レクタングル大広告