【管理人さんの】リアル老人会、遺跡発掘現場での思い出【ちょっといい話】

老人会というのは果たしてどういうものなのか?

これもまた老人会である。が、実際の老人会は威張り散らす人はやってこない。
 え?お前そういうのにいたの?と聞かれれば、老人会というのはどういうものか心当たりがあるから書いている。
 実は夫婦(※当時は未婚だった)で測量が出来たのでちょいと売り込んで、バイトで遺跡の発掘作業に携わったことがあるのだ。職場自体が俺たちと技師以外、60オーバー。リアル老人会であった。

齢79の万能怪物じいさんの思い出

 発掘作業は実は過酷だ。夏は暑いし冬は寒い。しかもやってることは半分農作業である。よくイメージで「刷毛で遺物をさっさかやる」


 これは発掘作業の終盤も終盤の作業だ。それまでの土を掘って、出た土を運ぶのは手間な作業である。しかも迂闊に掘り過ぎてはいけない。
 テントを張る手作業も、高所足場を組む現場作業もあった。3段立てて写真を撮る作業もあった。思い出はいろいろ尽きないが、そこに「主」のような最長老のじいさんがいた。その手の現場作業ではいつも機敏に動き、時に馬鹿力を発揮し、様々な電動工具を使いこなす。そしてこの人の昔話はこの現場老人会でいつも聞きごたえがあった。
 「あたしゃ、終戦のとき飛行機乗っとってね、豆満江(アムール川)の辺りにおりましたとバイ」
 そこから先はガチの歴史的証言である。とにかくソ連が攻めてくるのは知ってたから、必死に朝鮮半島を南下したと。
 「ある街で自動車を調達しようと朝鮮人一家の家で待っとったとですバイ。そしたら家主が裏切ってきてから、私らば売ろうとし始めましたったい。わしゃ咄嗟に持っとった銃でそいつの家族を人質にして、脅しましたもん。そんでかろうじて渋々自動車引き渡させて、その3時間後に露助が来とったゆうてましたもん、命拾いばした。」
 本物の老人会の思い出話、一番強烈に残っているのはこのレベルなんである(他にもいくつかあった)。命のやり取り位の話が一つ二つ無ければリアル老人会では自慢話などできっこないのだ。
 あとで訊いたのだが1970年代のバンド「ペドロ&カプリシャス」でギターを弾いていた初期メンバーだったというご老人がいた。老人会では、そんな話は自分からは一切しなかった。過去の栄光話は好まれない。

 なお、病気の話は老人会ではかなりポップでキャッチーでホットなド定番の話題である。みんななんか持病があるからだ。

遺跡発掘録ヒョウドウ

 さて我々夫婦の間ではこの「主」を多大にリスペクトし続けて、現場から離れた後何年かたってこの方のご自宅に結婚報告をしに行った。本当にお世話になったからだ。だが出られたのは奥様一人だった。なんでも、残念なことにその1年か2年前に脳梗塞で意識を失って、入院したまま意識が今も戻っていないんですよとのこと…。
 現場老人会での思い出話をたくさん夫婦で話した。嬉しそうに、
 「主人の話がいっぱい聞けて、本当にありがとうございました」
 と丁重な礼をされた。ほどなくして、この御仁の訃報が自分たちに届いた。

 さて、我々夫婦の間でずーっと話題にしていたのだが。
 この「主」の方。実に「カイジ」の兵頭会長そっくりだったのだ。

 「制裁っ…!」
 ああ、あの主のあの御仁を思い出すのう…。
 会長、旋盤からテント立て、大きな岩の解体まで何でもできてスーパーマンやったなあ…。

スポンサーリンク
レクタングル大広告

シェアする

フォローする

facebookページにも「いいね!」をお願いします
この記事をお届けした
インターネット老人会の最新ニュース情報を、
いいねしてチェックしよう!
スポンサーリンク
レクタングル大広告